美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長さんがパワハラ問題で揺れる体操の宮川紗江選手とスポンサー契約の話し合いが行われましたね。
その支援内容にも「前所属のやられていたことを、そっくりそのまま肩代わりして、全部引き受けます」と改めて全面支援を約束した高須克弥さんはかっこいいですよね~。
しかもですよ「自分はスポンサーになったとき、要望や希望は一切出さない。本人の希望をそのまま受け入れる。コーチ、遠征、練習場など、宮川選手の希望通りにしていく。ホワイトナイトですから」と金額に上限はつけず「いくらでも出す」というのですから、口は出しても金は出さないどっかの政治家とは大違いです!(笑い)
高須克弥さんは美容外科「高須クリニック」の院長さんとしても有名ですが、クリニックだけではなく活躍されている範囲はとっても広く、僧侶としての活動や、フリーメイソン、寄付活動なども行われています。
阪神・淡路大震災では被災地に7000万円を寄付したり、東日本大震災では大型トラックやバスにより、物資や医療スタッフを被災地へ輸送したりとこの紙面ではとても全てを紹介しきれないほど世の為人の為に生きている高須克弥さんです。
愛知県幡豆郡一色町に生まれ、生家は江戸時代から続く医師の家系で裕福な家庭に育った高須克弥少年は学校では、石を投げられたり、所持品を奪われるなどの壮絶なイジメにあったと言う。
父親は41歳で死去し、主に小児科医だった祖母に育てられたという。母親も産婦人科医で、多忙のため幼少時に育児にかかわる機会が多くなかったので克弥少年は親の愛を充分に感じることが出来なかったようですね。
今回は、宮川紗江選手の窮状を見て支援を申し出たことで、有名な上に更にニュースとなった高須クリニック院長の高須克弥さんにスポットを当てて、高須克弥の腹筋が凄い画像や出身高校・大学や家族についても紹介して行こうと思います。
高須克弥のプロフィール
- 本 名:高須 克弥(たかす かつや)
- 生年月日:1945年1月22日(73歳)
- 出身地:愛知県西尾市
- 国 籍:日本
- 出身校:昭和大学医学部卒業
- 昭和大学大学院
- 医学研究科博士課程修了
- 職 業:医師
- 配偶者:高須シヅ(1969年 – 2010年、死別)
- 西原理恵子:2012年 – 、事実婚)
- 子 供:高須力弥(長男)
- 高須久弥(次男)
- 高須幹弥(三男)
体操協会のルールが変わって、前もってスポンサーのお伺いが必要なんだって。
では
まず体操協会の許可をいただくよう手配するぜ。
かっちゃんは体操協会の顔を潰すようなことはしません。筋を通します。
会長さん副会長さん理事のみなさんよろしくお願いいたします。なう pic.twitter.com/4qt47mE3nm— 高須克弥 (@katsuyatakasu) September 7, 2018
東海高校を経て昭和医科大学(高須の入学翌年に現在の昭和大学に改称)医学部に入学、大学時代には空手とアイスホッケー、山岳診療所に没頭していた時期がある。
特にアイスホッケーについては「経験者が少ないスポーツでなら、一番が狙えるのではないか!」との考えから昭和大学にアイスホッケー部を新設させ、自ら初代主将に就任した。
結婚した女性(高須シヅ)は大学時代の同級生であり席が教室では隣の席であったという。同じ三河地区の出身で同じく実家は医者同士だったという。1969年に昭和大学医学部を卒業した高須克弥さんはいよいよ社会での活躍が始まります。
あ、そうそう!この記事の最後の方に高須院長のかっこいい動画が有りますので楽しみに読み
進んで下さいね。
高須克弥の腹筋や身長を調査!
バラエティー番組の『もしかしてズレてる?』に「高須クリニック」の高須克弥医院長が出演したことが有りました。そして驚くことに、これまでに自身に実施した整形回数とその総額が明かされました。
年商60億ともいわれる大富豪で、SNSであげているセレブな私生活が度々話題となっている高須医院長さんは、72歳という年齢ながら医師として自ら現場にでるなど最前線で活躍しています。
本人は体力の低下を感じているというが、その若々しい様子は72歳には見えないほど。ところが、じつはその若く見える理由は、高須医院長からは「整形してる」からで有るのだとの告白が飛び出しましたね。
高須院長は整形箇所について「全部」と髪や歯、そして顔も「一皮、全部剥いた」となんと、全身整形していることを告白したものですから一同はびっくりどよめきましたね。(笑い)
そして、おもむろにシャツを脱ぎ披露したボディは72歳とは思えない程マッチョで腹筋も割れたいわゆる「シックスパック」だったため、スタジオからはどよめきも起こったのですが。
実はこれには種があって、トレーニングで鍛えたわけではなく、最新の整形方法で脂肪を吸い取り、筋肉風の溝を「堀っただけ」と言うのですから、整形技術も凄いことになっていますね~。と言う訳で高須克弥院長さんのマッチョな画像をリンクからどうぞ!!
高須克弥の腹筋画像が凄い!はこちら
ちなみに、高須克弥院長の身長は170㎝、体重は?分かりませんでしたが、高須院長の持論では身長マイナス100が理想体重であると言っておられます。ですから体重は70Kg前後でしょうか?こんなツイートもありました。
https://twitter.com/katsuyatakasu/status/1027107093130575872
最新技術を確認するためにも自らを実験台として行った整形の数は19年間でなんと500回以上になると言いまた、これまでの整形でかかった総額費用は「10億円くらい」と明かしていました。スタジオでもビックリしていましたね(笑い)
高須克弥の出身高校・大学はどこ?
「YES高須クリニック!」の高須克弥院長が #民進党 に「NO」を突きつけた!? CM「陳腐」発言に提訴の意向 #高須克弥 https://t.co/RmS1r0bwX5 pic.twitter.com/1a9AyTV9sF
— 産経ニュース (@Sankei_news) May 18, 2017
生家は江戸時代から続いた医師の家系で、大学の医局勤務を経てから1976年に名古屋で高須クリニックを開設しました。高須克弥さんは才能があるんですね。197年に自身の著書「危ない美用法」がベストセラーになって、TV出演などをするようになって知名度も急上昇し始めました。
続いて1983年からは美容情報番組「美しくなりま専科」にレギュラーで出演します。そしてその頃から包茎手術をTVや雑誌でもマーケティングすると、クリニックは大盛況と成り、その後東京、横浜、大阪、など5つのクリニックを経営しています。
結婚は、1969年に同じ医師の女性と縁があって3人の息子達に恵まれましたが、2010年には残念ながら亡くしています。そんな、高須克弥さんは出身高校は愛知県「東海高校」です。偏差値75のハイレベルの高校です。東海高校は愛知県内でも、超難関と言われている高校です。
東大や京大などの超難関大学への合格者を多く輩出しています。高須さんの頃には偏差値などは余り聞かなかったと思いますが、当時からもレベルの高い進学校でした。
高校2年生の時に医学部コースに進んでいますが、当時の高須さんの夢は漫画家に成ることでしたが、医師の免許だけは取っておこうと考えていたようです。
そして、大学に入学しました。出身大学は「昭和大学医学部」偏差値68これも難関と言えるでしょう。高須克弥さんは、東海高校を卒業してから、私立の昭和大学、医学部に進学しました。入学時は「昭和医科大学」でした。
現在は、医者不足や社会の高齢化などで、私立大学の医学部のレベルも急上昇していますが、高須克弥さんが入学した頃は、現在ほどではなかったようです。
高須克弥さんの大学時代は、空手部に所属したほか、大学の理事長と交渉してアイスホッケー部を創設しています。又、卒業後は大学院に進み博士課程を修了して博士号も取得しています。
当初は整形外科医として活躍しますが留学先のドイツで学んだ形成外科の技術が日本に導入されて居ないことを知り、美容外科に転進して高須クリニックを開業しました。
年収は50億と報道されたこともありますが、多方面にわたって寄付活動もしており積極的に社会貢献も行っていますね。すでに70歳の齢を重ねていますが、年齢を感じさせない若々しい高須克弥さんでした。
高須克弥の家族をチェック!
高須克弥さんの家族を見てみましょうか!高須さんは1969年に大学時代の同級生であった高須シヅさんと結婚します。共に三河の医者の子息として生まれました。学生時代より高須さんとの付き合いを始め、後に結婚。
妻である、高須シズさんは昭和大学病院産婦人科勤務を経て、夫・克弥と1974年に創設した高須クリニックグループの実質経営者として活動していました。
1999年に、有色人種には不可能と信じられていた、劇薬で熱傷を作って再生させる、肌の若返り手術「ハードケミカルピール」を日本で初めて、夫・克弥の顔を使って実験し、成功したと言うのですから、お医者さんも自分や自分の身内を実験台にして研究するのですから大変ですね!。
時代劇で「華岡青洲の妻」と言うのがありましたね。世界で初めて全身麻酔を調合し、手術に使用したとして世界的に名を知られる、華岡青洲の成功の影には、失明しながらも夫の実験台として麻酔を受ける献身的な妻の話を思い出しましたね。
しかし、高須シヅさんは、65歳のときに転移性肺ガンで亡くなっています。亡くなった日には枕元にメモが遺されていたそうですね。そのメモの内容は、遺産の配分を決められなかったことなど自身の後悔の数々、生きている間に出来て嬉しかったこと、息子たちへの説教など、遺言が書かれていたようです。
子供たちや孫たちに伝えたかった遺訓にちがいない。自分たちが死ぬ時、後悔しないようシヅさんは子孫たちに遺したんでしょう。「忌明け法要のとき僕が直接彼らに伝える二十四項目ある最初の四つはシヅ先生自身の後悔に違いない」高須克弥さんのブログにも、シヅさんが残したメモ書きを投稿したところががありました。
1)健康を大切にしなかったこと
2)遺産をどうするか決めなかったこと
3)夢をかなえられなかったこと
4)故郷に帰らなかったこと
すべてで24項目。後悔していることや、後悔していないこと、これから大切にしてほしいことなどがたくさん遺されていました。
メモ画像はこちら!
高須院長の奥様が逝去なさったときのブログ
2010/04/25 23:06:57
感動というか、感涙する。高須克弥「シヅ先生の遺訓」
⇒ https://t.co/8hDKOP2MLf— 半蔵門インテリジェンス総研 (@EA_souken) February 16, 2016
高須克弥さんには息子さんは3人いらっしゃり、みなさん高須クリニックの院長や副院長を務めています。一番見かけるのは、3男の幹弥さんでしょうか。お父さんに一番似ているといわれていますね。すちなみに、幹弥さんは、名古屋にある高須クリニックの院長を務めていらっしゃいます。
幹弥さんの画像はこちら!
2男の久弥さんは、歯科医師として務めていらっしゃるようですね。高須クリニック大阪医院で審美歯科をされています。
久弥さんの画像はこちら!
長男は力弥さんという名前で、高須クリニックの東京医院の院長で、横浜医院の副院長をしているそうです。
力弥さんの画像はこちら!
高須克弥 高須クリニック ちょっと待って!! 美容整形する前に見るビデオ
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まとめ
体操の宮川紗江選手のスポンサーとなって宮川紗江選手を支援するという宣言で、これまでも有名であった高須クリニック院長の高須克弥さんが更に話題を呼んでいますね。
出身高校は東海高校から昭和大学医学部(現在)を卒業、高須クリニックを開業し美容整形外科医として、TVなどにも出演してその活動の場を広げて行きます。
高須克弥の嫁・高須シヅさんは美容整形外科の医師として夫と共に高須クリニックを大きくしてきたパートナーであったが、転移性肺がんにより65歳で亡くなられました。
3人の息子達は、それぞれが高須クリニックの院長や副院長を務めているが、特に3男の幹弥さんはは父親に一番似ていると言う事でも有名である。
高須克弥さんは寄付活動や、災害時には現場の救護の為に多くの支援をしておられるのが、なんと言っても素晴らしいですねこれからも派手な演出で視聴者を楽しませてくれるでしょうね。
最後まで読んで頂き有難うございます。もし宜しければコメントなど頂ければ幸いです。