男子スポーツ選手

【衝撃事実】貴景勝の双子説や本名を調査!成績や懸賞金が凄い!まわしもチェック!

大相撲で活躍中の大関昇進を果たした貴景勝関は、兵庫県芦屋市で生まれました。貴景勝関は5歳から仁川学院小学校3年次まで極真空手を習い、芦屋の暴れん坊と言われていた貴景勝関はぐんぐん力をつけて全国大会に出場します。

全国大会では準優勝の実績を残したが、決勝で受けた判定に納得がいかなかったと言う理由で「おかしい判定(反則)で負けにされた。

判定がある競技はやりたくないと思って空手をやめ、その後興味を持った相撲に転向したそうです。相撲は勝敗がはっきりしていますね。そして、2014年年9月場所で貴乃花部屋に入門し、本名を四股名にして初土俵を踏みました。

そして、今回大相撲春場所千秋楽で10勝を挙げ、関脇貴景勝関の大関昇進を確実にしましたね!。両親は「ようやった」と喜びをかみしめ恩師や出身地の兵庫県芦屋市からも、お祝いのう声が届いていましたね。

今回は貴景勝の双子説や本名を調査!成績や懸賞金が凄い!まわしもチェック!についてお伝えして行きたいと思います。

スポンサーリンク

貴景勝のプロフィール

  • 本 名:佐藤 貴信(さとう たかのぶ)
  • 四股名:貴景勝 光信(たかけいしょう みつのぶ)
  • 愛 称:タカノブ・芦屋の暴れん坊
  • 生年月日:1996年8月5日(22歳)
  • 出身地:兵庫県芦屋市
  • 身 長:175㎝
  • 体 重:170kg
  • 血液型:O型
  • 属部屋:貴乃花部屋→千賀ノ浦部屋
  • 得意技:突き・押し
  • 現在の番付:東大関2
  • 現在までの戦歴:213勝116敗4休(28場所)
  • 現在までの幕内戦歴 125勝81敗4休(14場所)
  • 優 勝:幕内最高優勝1回
  • 殊勲賞:3回
  • 敢闘賞:2回
  • 技能賞:2回

貴景勝 光信(たかけいしょう みつのぶ)は、兵庫県芦屋市出身で、入門時は貴乃花部屋でしたが、現在は千賀ノ浦部屋所属の現役大相撲力士です。2016年11月場所までの四股名は佐藤 貴信(さとう たかのぶ)でした。

得意手は突き、押し。2019年5月場所からは東大関2の番付で出場しますね。好物は肉、寿司。趣味は睡眠だそうです。《笑い》

貴景勝の双子説や本名を調査!

貴景勝関の本名の「貴信」は父親が当時現役の横綱だった貴乃花の名前から1字を取ったものなのだそうで、そこに織田信長の「信」の字を加えてあると言う。

父は「男に生まれたからには、天下を取らないと駄目だぞ」という思いを込めてこの名前を付けたというのですが、プレッシャーじゃないですかね〜。

幼少期はK-1ブームの中で過ごし、ジェロム・レ・バンナ、ボブ・サップなどのヘビー級の選手たちの試合をよく観戦していたそうです。

ところが、空手の全国大会で判定により準優勝になった時、その判定に納得出来ずにいたのですが、勝負がはっきりしている相撲に関心を持って相撲へと転向しました。

続いて、貴景勝関の双子説があったので調査して見ましたところ、貴景勝関は双子ではなく一人っ子です。ですがどういう訳か、双子ではないかとネット上で話題になっていました。

なぜなら、解散前の貴乃花部屋に双子の力士がいたために、貴景勝関と勘違いしている人が多いというのが、その理由みたいです。

貴公俊関と貴源治関という力士でしたが、双子で貴乃花部屋で一緒に稽古をしていたんですね。四股名が「貴」から始まっていますし、ちょっとした誤解から始まった噂のようです。

スポンサーリンク

貴景勝の四股名の由来を調査!

そして「貴景勝(たかけいしょう)」の四股名の由来に触れて見たいと思います。「貴景勝」というしこ名には、どのような由来があるのでしょうか?

それは、貴乃花親方と貴景勝関の本名の貴信から「貴」の文字、そして、貴乃花親方が好きな武将である上杉謙信の後継ぎが上杉景勝と言います。

それで、貴乃花親方の『自分の後を継いでほしい』という願いから、幕内昇進の時に「貴景勝」と命名されたそうですね。「景」という字は、貴乃花親方の奥さんである景子さんから取ったと思われるかもしれませんが、このような由来があったのですね!

貴景勝関は高校相撲の名門高校である、埼玉栄高校3年在学時に貴乃花部屋に入門しています。そして得意の突き押しを武器として、メキメキと頭角を現し平成26年9月の初土俵からわずか2年弱という、19才の若さで新十両に昇進しました。

貴景勝関の快進撃は続いて、2019年5月場所からは東の大関として活躍が期待出来ますね。横綱になるのももう直ぐですね!!。

貴景勝の成績や懸賞金が凄い

貴景勝の成績や懸賞金が凄いと言うのは、春場所の期待と注目は、大関・貴景勝に集中していますね。それは懸賞の数にも現われていると言えますね。「指定懸賞の申し込み数は2073本(3月8日時点)。15日間の最多懸賞は昨年の秋場所の2160本ですが、

東京に比べて懸賞が少なくなりがちな地方場所ながら新記録になりそうな勢いだそうです。力士別で見ると両横綱や大阪出身の大関・豪栄道を抑え、大関取りの貴景勝が250本でトップで初場所の58本から約4倍に伸びたそうで、この辺りにも貴景勝関の人気の高さが分かりますね。

懸賞金1本につき、力士の手取りは3万円だそうで、それだけにガチンコ力士たちは一番あたり約20本(60万円)の懸賞を狙って貴景勝戦により一層の気合いが入ると言う訳なんですね。

後半戦の貴景勝は、優勝戦線に残っている絶好調の平幕力士たちとの対戦が組まれると考えられますので、「負けて元々の下位力士は立ち会いから奇策をとってくる可能性もあります。

貴景勝が苦手とする巨漢力士や大物食いの金星ハンターたちも手ぐすねを引いて待ち構えているんでしょうね。勝負に勝って懸賞を手にするのは嬉しいのでしょうがその分勝負はより厳しくなりますね〜。

貴景勝関の成績は下記です。

  • 生涯戦歴:213勝116敗4休(28場所)
  • 幕内戦歴:125勝81敗4休(14場所)
  • 優 勝:幕内最高優勝1回
  • 十両優勝1回
  • 幕下優勝1回
  • 序二段優勝1回
  • 序ノ口優勝1回
  • 殊勲賞3回
  • 敢闘賞2回
  • 技能賞2回
スポンサーリンク

貴景勝のまわしもチェック!

人気絶頂の貴景勝関ですが、のまわしに関して珍事件があったんですね。それは大相撲九州場所(福岡国際センター)の中日の出来事で当時小結の貴景勝が、土俵へ上がったときから締め込みの結び目がほどけていたため、

土俵上で1分以上をかけて締め直した事がありました。それでも勝負は、妙義龍を引き落としで破り、ただ一人1敗を守って単独首位を守りましたが、極めて珍しい出来事でしたから、話題になりましたね。

この日は土俵へ上がったときから、その失態はすぐに指摘されました。向正面の審判員、時津風親方(元幕内時津海)が気がついた時には、既に、力水を受けた貴景勝関は1度目の仕切りへと向かっていました。

紫色の締め込みの結び目が、この時点で外れていたのでした。取組の後に、貴景勝関は自身の責任であると反省の弁が有りましたが、2度目の仕切りを終えて塩を取りに戻った時、

東の土俵下に控えていた呼出し俊佑(しゅんすけ)が土俵へ上がり結び目を解き、締め直す作業に入るのですが、これが締め込みそのものが短く、余裕はなくて・・・。

さらに、きつく締めるため霧(水)が噴かれて絹地はカチカチに固められていました。呼出し俊佑も手間取って時間ばかりが過ぎていく。「呼出しになって14年目だが、こんな経験は初めて。左の薬指がすりむけてしまった」。

と悪戦苦闘していました。土俵を包む虚無感・・・・。この間、1分15秒掛かっていました。途中から呼出しがもう1人加わり2人がかりで締め直しをしましたが、対戦相手の妙義龍を待たせる非礼にもなってしまいましたね。

それでも、勝負は引き落として単独首位となる7勝目を挙げた貴景勝は「(立ち合いは)0点。今場所一の駄目な相撲です15日間あればこういうこともある」と強気の弁でしたね。

ちなみに、審判規定6条には「審判委員は、土俵上一切の競技進行に留意し、相撲競技規定に抵触または、違反のないようにする責任がある」とあり、「前褌(まえみつ)が外れて落ちた場合は負けとなる」(勝負規定第16条)

という規定があったのでそれを未然に防いで貰ったので、貴景勝関は大きなもらい物をしたようですよね!これも貴景勝関の運勢が良いからでしょうね。
まわしを直す貴景勝関!

[kanren postid=”1068″]

[kanren postid=”2167″]

[kanren postid=”2315″]

まとめ

貴景勝関は5歳から仁川学院小学校3年次まで極真空手を習い、芦屋の暴れん坊と言われていた貴景勝関はぐんぐん力をつけて全国大会に出場します。

全国大会では準優勝の実績を残したが、決勝で受けた判定に納得がいかなかったと言う理由で「おかしい判定(反則)で負けにされた。判定がある競技はやりたくないと思って空手をやめ、その後興味を持った相撲に転向したそうです。

大相撲九州場所(福岡国際センター)の中日の出来事で当時小結の貴景勝が、土俵へ上がったときから締め込みの結び目がほどけていたため、土俵上で1分以上をかけて締め直した事がありました。

それでも勝負は、妙義龍を引き落としで破り、ただ一人1敗を守って単独首位を守りましたが、極めて珍しい出来事でしたから、話題になりましたね。

懸賞金1本につき、力士の手取りは3万円だそうで、それだけにガチンコ力士たちは一番あたり約20本(60万円)の懸賞を狙って貴景勝戦により一層の気合いが入ると言う訳なんですね。

貴景勝関の本名の「貴信」は父親が当時現役の横綱だった貴乃花の名前から1字を取ったものなのだそうで、そこに織田信長の「信」の字を加えてあると言う。

父は「男に生まれたからには、天下を取らないと駄目だぞ」という思いを込めてこの名前を付けたというのですが、プレッシャーじゃないですかね〜。(笑い)それでも大関になった貴景勝関はやっぱり凄いんですね!。

最後まで読んで頂き有難うございます。もし宜しければコメントなど頂ければ幸いです。

スポンサーリンク