2016,リオデジャネイロ五輪のバドミントン女子ダブルスで、日本期待の、「タカマツ」
ペアこと、高松礼華/松友美佐紀が、金メダルを獲得しました。日本バドミントン史上
初の金メダルだということで、ファンはもちろん、日本中が盛り上がりましたね。
最後まで勝負の行方がわからない、大接戦でしたが、それを最後に制したのは
日本、ペアでした。 世界ランキング1位で、五輪開幕前から金メダル候補と注目
されていた、タカマツペアでしたが、しかしながら、決勝の第1ゲームではデンマーク
のカミラ・リターユヒル/ クリスティナ・ペデルセンペアと競り合う展開になり、
お互いに点を取られては取り返すというゲーム展開の中、最後はデンマークに
逃げ切られてしまうということで、日本は21-18で第1ゲームを落としました。
2ゲーム先取で勝負が決するため、続く第2ゲームは日本にとっては絶対に
落とせない戦いとなったわけですが、幸先よく日本は先制点を挙げると、
さらに連続で得点、波に乗った。そして、中盤からはさらにポイントを重ね、
10点以上の差をつけてデンマークを圧倒する内容で、日本ペアが
第2ゲームを取り返しました。
今回は、金メダルが嬉しい高橋・松友コンビがリオオリンピックバトミントン優勝!
の内容をお伝えし、高橋・松友コンビの可愛い画像などもご紹介します。
高橋礼華のプロフィール
本 名:髙橋 礼華(たかはし あやか) Ayaka Takahashi
生年月日: 1990年4月19日(26歳)
国 籍: 日本
出身地:奈良県 橿原市
身 長:164cm
利き腕 右
種目 女子シングルス(WS)
女子ダブルス(WD)
混合ダブルス(XD)
日本代表歴 2010年 –
主な戦績
世界ランク(最高) WS:167位
WD:1位
XD:50位
日本ランク(最高) WD:1位
国際大会
WD:BWFスーパーシリーズファイナルズ優勝(2014年)、
全英オープン優勝(2016年)
経歴
所属:2003年 – 2006年 聖ウルスラ学院英智中学校
2006年 – 2009年 聖ウルスラ学院英智高等学校
2009年 – 日本ユニシスバドミントン部
バドミントンを始めたきっかけは母親がバドミントンをやっていたからという。
練習についていって遊びでやっていたら、楽しくなったとの事!!
中学は聖ウルスラ学院英智中学校へ入学。高校時代から1学年後輩
の松友とダブルスのペアを組み始めました。
“タカ・マツ”ペア現地スタジオ生出演!リオ五輪女子ダブルス金メダル獲得!
松友美佐紀のプロフィール
本 名:松友美佐紀(まつとも みさき) Misaki Matsutomo
生年月日: 1992年2月8日(24歳)
国 籍:日本
出身地:徳島県 板野郡 藍住町
身 長:159.5cm
利き腕:右
種 目:女子シングルス(WS)
女子ダブルス(WD)
混合ダブルス(XD)
日本代表歴 2010年 –
主な戦績
世界ランク(最高) WS:58位
WD:1位
XD:12位
日本ランク(最高) WD:1位
国際大会: Fスーパーシリーズファイナルズ優勝(2014年)、
全英オープン優勝(2016年)
5歳より、藍住エンジェルスポーツ少年団藍住エンジェルクラブ(徳島県藍住町)
に所属してバドミントン競技を始めたという。藍住町立藍住東小学校卒業。
2006年(平成18年)に徳島県にて全国中学校体育大会(全中)が開催予定だったため、
県外の強豪校からの誘いを断って、地元の徳島市徳島中学校(徳島県徳島市)に入学
しました。中学3年時に迎えた徳島県での全国中学校バドミントン大会ではシングルスでは
優勝し、団体優勝にも貢献したという。やっぱり小さい頃から才能が素晴らしいですね。
さて、今回のリオ五輪の結果ですが・・・・。
金メダルの行方がかかった、最終第3ゲーム。日本のペースで試合が進むかと思いきや、
再び大接戦となってきました。^^;1点取っては1点取られ、どちらかが少しでもミスを
すれば負けにつながるというプレッシャーのなか、日本もデンマークも双方譲らない
試合展開となってきましたね。しかし、終盤でデンマークペアが攻め込み、3連続ポイント
16-19で日本は追い込まれます。
しかし、この苦しいこの状況から日本は1点、また1点と返していき、ついに19-19
に追いついて来ました。そしてそこから日本が先にマッチポイントを迎えます。
重圧のかかるこの場面でタカマツペアは一気に勝負を決め、21-19と、最終ゲームを
制し、この種目で日本初となる金メダルを獲得しました!!
高橋・松友の画像が可愛い!
大接戦となった決勝を、ふたりは次のように振り返っていました。「1ゲーム目は私が
全然よくなかったんですけど、最後にファイナルで自分がやってきたことを諦めないで
出そうと思って。それが出せてよかったです」と(松友)さんが語れば、高橋さんも
「競った場面で追いついたとき、『こういう時は自分たちの方が強い』!と思って
プレーできたのでよかったです」と優勝時のコメントでしたね。
小学5年と6年では、全国小学生大会シングルスで優勝しながらも、中学に進んで
からはヘルニアになるなどで結果を出せなかった高橋礼華と、小学4年から全国タイトル
の常連で全国中学も制した松友美佐紀。ふたりがダブルスを組んだのは、高橋が、
2年になっていた宮城県の聖ウルスラ英智高に松友が入学した年の秋だったという。
翌2008年には全国高校選抜で優勝し、インターハイでも優勝。さらに初挑戦の
全日本総合選手権で3位と結果を出し、高橋が社会人入りした直後の
大阪インターナショナルチャレンジでは、日本代表組を連破して優勝した。高橋・松友
コンビの大活躍が始まりましたね。
だが当時、松友はシングルスもやっていて、高3になった09年の全日本総合は
高橋と組んだダブルスはベスト8で敗退したが、シングルスでは準決勝で第一人者
の廣瀬栄理子を相手に「あわや金星か」という大善戦をして3位になりました。
その躍進に高橋は「もし松友がシングルスをやりたいというのならそれを止めちゃ
ダメだと思ったという。そうなったら自分は割り切って違う人と組んで頑張る
しかないと考えた」と言う。
しかし松友の日本ユニシス入りが決まり、日本代表チームにもダブルスで選ばれたことで
その不安は解消した。そして松友も社会人1年目の、2010年はシングルスも並行して
やっていて世界ジュニア2位などの結果も残したが、2011年になると「両方好きだから
どちらかと、決められない気持はあるが、ナショナルはダブルスで入れてもらったし
五輪レースに参加するチャンスをもらえたのだから、今年はダブルス一本でやろうと思う」
と心を決めて臨んで来たのだというのですね
当時の日本女子ダブルスは厳しい戦いが繰り広げられていました。その中でふたりは
ランキング20位と、4番手の位置から抜け出せなかった状態でしたが・・・。
だがロンドン五輪が終わるとそんな重りも取り払われたかのように、一気に結果を
出し始めて、スーパーシリーズに次ぐカテゴリーの、グランプリゴールドで2勝すると、
10月のスーパーシリーズ・デンマークオープンでは、ロンドン五輪、金メダルの中国ペアを
準決勝で破って2位になり、12月末にはランキングを7位まであげたという。
高橋は「ずっと松友がゲームを作るから、それをカバーすればいいと思っていた。
でも混合ダブルスもやるようになってレシーブにも自信を持てるようになったので、
レシーブから攻撃に持っていくパターンも作れるようになった」と言う。球筋を見極めて
考える能力が高く、前衛でゲームを作れる松友のセンスとプレーの幅が広がった高橋の
パワーがうまくマッチし、粘りきるプレースタイルが確立し始めた。
それが2014年のジャパンオープンやスーパーシリーズファイナルの日本人初優勝に
つながり、15年4月にはインドオープンで優勝。とうとう世界ランキング1位にまで登り
詰めました。
五輪レースに入った昨年の夏以降は故障もあって12月中旬にはランキング4位まで
後退したが、3月には全英オープンで優勝して1位に復帰。その後もインドオープンや
アジア選手権を制する安定感を見せてランキング1位で五輪出場を決めると、
6月のインドネシアオープンでも本番での最大のライバルになると予想されるランキング
2位の於洋/唐淵渟(中国)を破って優勝と、そのまま好調を維持している。
今回の、リオデジャネイロ五輪の金メダルは二人の努力が見事に実った、と言えるの
ではないでしょうかね^^/
高橋・松友さん、金んメダルお誕生お目出度うございます!
最後まで読んで頂き有難うございます
もし宜しければコメントなど頂ければ
頂ければ幸いです。