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【衝撃事実】三遊亭円楽(六代目)の落語会や本名を調査!やるかじじい事件の真相は?

落語家の三遊亭円楽師匠が病気になりました!初期の肺がんであることを発表されていました。2018年10月4日から11日まで休養を取って肺がんの手術に備えるようですね。手術の為に入院している期間中の公演は代役を立てて予定通り上演されると言う事だそうです。

心配される、がんの状態を「初期」とのみ明かされていて、主治医の判断で手術による治療を行うとしています。円楽師匠は「根治を目指して治療し、皆さまの元へは退院後すぐに帰ってまいります。

これまでと変わらず、毎日お仕事をさせていただきます」と前向きなコメントしておられましたが、人間年をとると共に体のあちらこちらと、都合の悪いところが出てきますが、円楽師匠も毎日忙しく働いて体を充分に休めていられないのでゆっくりと入院して体力を回復させて又元気な顔を見せて欲しいですね!。

そんな訳でにわかに騒々しい思いをされたであろう六代目三遊亭円楽師匠の話題を取り上げて、落語会や、師匠の本名は?”やるかじじい事件”というのはなんのことをさしているのか調査してみました。

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三遊亭圓楽(六代目)のプロフィール

  • 芸 名:六代目 三遊亭 円楽(ろくだいめ さんゆうてい えんらく)
  • 三ツ組橘は、5代目圓楽一門の定紋である。『笑点』で着用している着物の紋も同様。
  • 本 名:會 泰通(あい やすみち)
  • 別 名:三遊亭圓楽
  • 旧 名:三遊亭楽太郎・楽さん・ラッキー・らっきょう
  • 生年月日:1950年2月8日(68歳)
  • 出身地 :日本の旗 日本 東京都墨田区
  • 師 匠: 5代目三遊亭圓楽
  • 名 跡 : 三遊亭楽太郎(1970年 – 2010年)
  • 6代目:三遊亭円楽(2010年 – )
  • 出囃子: 元禄花見踊
  • 活動期間:1970年 –
  • 活動内容: 古典落語
  • 配偶者:有り
  • 家 族 会一太郎(長男)
  • 所 属: 落語協会(1970年 – 1978年)
  • 落語三遊協会:1978年 – 1980年)
  • 大日本落語すみれ会→落語円楽党→落語ベアーズ→円楽一門会(1980年 – )
  • 受賞歴:放送演芸大賞最優秀ホープ賞

初名の三遊亭楽太郎さんから師匠の名跡である6代目三遊亭圓楽を襲名させて貰いました。しかし、楽太郎さんなりの考えがあって「落語界では旧字体の<圓>の字をよく使いますが、常用漢字の<円>で通す」と明にしており、

襲名以降各種落語会、独演会、テレビ出演等すべての活動において、「(6代目)三遊亭円楽」と名乗っています。出囃子は師匠5代目三遊亭圓楽と同じ『元禄花見踊』(以前は『花が咲き候』を使用していました)。

円楽師匠の長男は落語家・声優の「会一太郎」(落語家としての名称は三遊亭一太郎)で、その妻は声優の佐々木愛さんです。

三遊亭圓楽(六代目)の落語会

楽太郎さんは76年に、二ツ目に昇進すると、翌年の8月に「笑点」のレギュラーとして出演するようになりそれ以降、現在まで39年にわたり「笑点」の出演が続いています。

81年には、真打に昇進!。そこから26年後の2007年からは、東西の落語家を集めて公演を行う「博多・天神落語まつり」のプロデュースを手がけるようになりました。

「博多・天神落語まつり」の落語会は博多では秋の風物詩として定着し、2017年11月3日〜6日の開催で第10回目の開催となりの2カ月前にはチケットが完売するほどの盛況ぶりを見せています。

2010年に師匠である五代目三遊亭圓楽から襲名を受けるが。襲名は先代が生きている間に襲名するのは稀なことであるそうです。笑点においては毎週死亡ネタ・ハゲネタなどで罵倒しまくっている6代目円楽さんと歌丸師匠であるが、

笑点を離れれば6代目円楽さんは歌丸師匠に稽古をつけてもらったり、二人会を行い、国内外で共演をするなど関係は非常に良好である。

「自分には3人の父親がおり、1人目は実父、2人目は5代目圓楽、3人目に桂歌丸」6代目三遊亭円楽さんの楽太郎さんが六代目円楽を襲名した時に、歌丸師匠に感謝の言葉を述べているほど、歌丸師匠を尊敬している。

歌丸師匠を「人間国宝」にするための署名活動も始めました。「桂歌丸を人間国宝にする会」会長 六代目三遊亭円楽、六代目三遊亭円楽さんがインターネット署名サイト「Change.org」にて「桂歌丸師匠を“人間国宝”にしましょう!!」

と呼びかけるとともに、署名活動を展開するなど円楽さんと歌丸師匠の友情の深さには感心させられますね。

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三遊亭圓楽(六代目)の本名は?

三遊亭円楽師匠は、1950年、東京都墨田区生まれ。落語家です。本名は、會 泰通(あい やすみち)青山学院大学法学部卒業されています。

在学中に五代目三遊亭圓楽の鞄持ちのアルバイトをしたことで認められて、卒業後に弟子入り。六代目三遊亭圓生から楽太郎と名付けられました。

師匠にも「おまえは要領がいい」って言われましたね。悪い意味じゃなくて。「打てば響くし、すぐにわかるし」って。下町の貧乏人のせがれってそうなんですよね。しかも次男坊でしょう。毎日が生き残りゲームなんですよ。悪く言えば、人の顔色を見る。

よく言えば要領がいい。それは言われましたね。僕は団塊世代の最後だから「どうやって生き残ろうか」という世代でしょ先輩たちを見ながら賢くなっていきますよね。話も合いますしね。

師匠が、「一年くらいあたしについて見てますけど、この子ならなんとかなりますよ」と言ったんです。僕それを聞いちゃったんですよ。「おぉ、やったぁ」と思っていたら、親父が帰った途端、今まで、「君」だったのが、ばか、へちま、たこですよ。

そーか、そっちがそんなに変わるんなら僕も変わってやろうと思ったんです。師匠からは「俺を喜ばせろ」と言われました。「俺一人を喜ばせればいい。お前の上司は俺だけだ。

俺一人喜ばせられなければ、お客さんを喜ばせられない」と言われたんです。それからは真剣にどうすれば師匠が喜んでくれるかなぁと考えましたね。

還暦の60歳で6代目ということになられたんですけど、生前襲名っていうのはあまり例のないことなんですよね。ないですね。うちの師匠が体力的にも弱ってたし、笑点もやめて、前からお前を圓楽にするとは言われていたんですよ。

私はいっそ、楽太郎のまま行っちゃおうかと思ったんですけどついに誤魔化しきれなくなって引き受けることにしたんです。師匠は本名の吉河に戻るからとおっしゃったんですけど、五代目円楽でいいんですよと言ったら師匠は「そりゃ、おかしいよ、おまえ、5代目と6代目がいっしょにいたら」とおっしゃったんです。

いいじゃないですか、じゃあ変えるなら本名じゃなくて芸名を圓翁におなりなさい。歌舞伎の市川猿之助をつくるために先代が猿翁に変えられたように、師匠が圓翁、私が円楽、屋号は「澤瀉屋」じゃなくて「面長屋」でいいじゃないですかといったら、くだらない、おまえ、そんなことばっかり考えてるのかと笑われました。(笑い)

三遊亭圓楽(六代目)のやるかじじい事件!

「やるかジジイ!」の後は「山田くん、楽さんの座布団を全部持っていけ!」がお決まりだった「笑点」の筋書きでしたが、桂歌丸さんと円楽師匠のやり取りがわかっていながらも、もう止められないほどにおもしろかったですね。

笑点の大喜利のコーナーで歌丸さんと圓楽さんの掛け合いで日曜日の17時30分がもう待ちどうしい程楽しみでした。筆者が特に気にっているフレーズが「やるかジジイ!」のフレーズですね!。

歌丸さんと圓楽さんの掛け合いで円楽さんの「やるかジジイ!」と歌丸さんにまるでケンカを売っているような答えです。その部分を紹介しますね。

円楽「先輩に逆らって、何が悪いんだ?」
歌丸「悪いさ!」
円楽「やるかジジイ!」

ここで、歌丸さんも飛び上がって、「おい!」みたいな感じで円楽さんを睨みつけると、円楽さんが笑いながらその場を離れようとする。そして「山田くん、楽さんの(座布団)全部持っていて!」とお決まりのコースなんですがこれがわかっていながら何度見ても面白いんですね(笑い)

その、円楽さんと歌丸師匠との掛け合いも歌丸師匠の体力の限界を感じるといって「笑点」を勇退したと時には円楽さんはホントに寂しそうでした。

円楽さんが歌丸師匠に送る言葉として「安心したのが落語をやっていく欲があること。落語でずっとオッサンの背中を見ていきます。長生きしてください。『楽さん、もっと勉強しろよ』と叱ってください」でした。

円楽さんの「やるかジジイ!」は本当に仲良し同士だから言えるギャグなんですね~筆者もなんだかジーンと来ました。

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まとめ

落語家の三遊亭円楽師匠が病気になりました!初期の肺がんであることを発表されていました。2018年10月4日から11日まで休養を取って肺がんの手術に備えるようですね。

三遊亭円楽さんといえば「笑点」で桂歌丸さんとの掛け合いがとっても面白くて、円楽さんの「やるかジジイ!」と歌丸さんにまるでケンカを売っているような答えの後は「山田君、楽さんの座布団を全部もってって!がお決まりのパターンですが、これが何時出るか?が毎回の楽しみみたいなものですね。(笑い)

六代目三遊亭園楽さんは名跡は園楽を使うが普段の仕事や生活には三遊亭円楽の常用漢字を使うことも宣言しています。どんな理由でかは分からんですけど^^;

本名は會 泰通(あい やすみち)さんでした。円楽さんは2018年10月4日から入院はしますが「根治を目指して治療し、皆さまの元へは退院後すぐに帰ってまいります。と復帰を目指してガンと戦っていますね。

早く全治して又元気な声を聞きたいですね。

最後まで読んで頂き有難うございます。もし宜しければコメントなど頂ければ幸いです。

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