体操女子で16年リオデジャネイロ五輪代表の宮川紗江(18)が8月29日に会見を開く なぜ被害者が加害者をかばうのか? この矛盾したニュースのはたして黒幕は誰?
【矛盾ポイント】なぜ被害者である本人が加害者をかばう矛盾が起きているのか?(難易度★★)
本来は、被害者が事故や事件で訴えているのにも関わらず加害者をかばう事はありえません。
しかし、それが現実に起こっております。
貴方はどのように想像しましたか?
考えてみましょう。
私はこのように想像しました。
↓
1.協会の何かの勘違いでこのような事が起きた
2.宮川選手が大げさに「パワハラを受けている」と協会関係者に発言してしまい、それが大ごとになってしまった。
3.宮川選手が嘘をついている。
4.協会が宮川選手を利用して、速見佑斗コーチを陥れようとした。
会見の内容
宮川選手への暴力により速見佑斗コーチ(34)に日本協会が科した無期限登録抹消などの処分に疑義を示した問題で会見を開きました。
日本協会の幹部からパワハラを受けていたと主張しています。
速見コーチが処分を受ける前の7月中旬、日本協会の塚原千恵子・女子強化本部長、夫で日本協会副会長の塚原光男氏に呼び出され、(速見コーチに)暴力の話が出ており、
「認めないと厳しい状況になる。あのコーチはダメ。だからあなたは伸びない。私なら速見コーチの100倍教えられる」などと言われたという。
会見での主張は
日本協会から「暴力行為の証言を求められた」
しかし、宮川選手は「私は証言しません。ずっと前から目標に向けて計画を立てて頑張ってきた。自分の考えを言える先生です」、「家族も先生を信頼して一緒にやっていく」と主張しています。
日本協会はどのように発言したのか?
家族でどうかしている、宗教みたいだと高圧的に言われており、五輪に出られなくなるとまで言われており、
宮川選手は「家族もコーチも否定され、おかしくなってしまいそうだった」と明かしました。
塚原夫妻に関わりが深い朝日生命への移籍を勧められたこともあったという。
暴力は実際にあったのか?
速見コーチから1年以上前に頭を叩かれるなどを暴力はあったことは認めており、
「コーチが暴力をしてしまったことは許されることではなかったと理解している」と宮川選手は発言しているが、
「協会から今までパワハラを受けたという風に感じている。すごく怖かったし、このままつぶされてしまうのではないかということで、周りにも相談した」とも話をしています。
【答え】
日本協会というくくりで考えるから矛盾が生じてしまう。
また、会見を開くまでの事態になっており、勘違いなどではないことが判断できる。
真相は
塚原千恵子女子強化本部長、塚原光男副会長によるものであり、日本協会全体の判断ではないでしょう。
塚原千恵子女子強化本部長から「あなたが認めないと厳しい状況になる」という内容の言葉を受けたという。
光男副会長から「今後、速見コーチが除外された時に一番困るのはあなただから、今すぐ関係を切りなさい」
千恵子本部長からは「私はあなたを心配しているから。私はあなたの味方だから」と言われたという。
その会話の中で「オリンピックにも出られなくなる」という発言もあったとしている。
塚原夫妻はなぜ速水コーチを「無期限登録抹消」にしたのか?
レスリングやボクシングの奈良判定と同じ構造である。
塚原夫妻は体操界ではかなり高名である。
しかし、自前では有望な選手が育てられず、速水コーチは塚原夫妻の方針に従わなかったのである。
塚原夫妻は宮川選手を「朝日生命体操クラブ」に入れ、
塚原夫妻は「宮川選手は私が育てて、実績を作らせた」としたかったようです。
しかし、それに対して抵抗していたのが速水コーチであり、
そのことで塚原夫妻に怒りを買い、「体操界の権力者である塚原一家に逆らったらこういうことになりますよ!」という示しを受けた形である。
努力している選手まで巻き込む、なんとも言い難い話である。
【論議】
最近のニュースでは、スポーツ界での権力パワハラが多くなっております。
多くのSNSが発展し、情報をすぐに共有できるからではないでしょうか。
スポーツ選手がのびのびと練習に打ち込み、モチベーションを保てる環境にすることは中々難しいことです。
どうしても権力争いに巻き込まれてしまい、監督や上司の私情に挟まれてしまいます。
しかし、レスリングやボクシング、アメフト、今回の体操のように協力者を集い、情報を共有し、証拠を集めて次世代により練習しやすい環境を作る働きをすることは良いことです。
ただ、選手生命をかけた行動であり、勇気のいる行為であるので、難しい問題でもあります。
塚原夫妻について
塚原 千恵子(つかはら ちえこ、1947年8月12日 )
長崎県出身の元オリンピック女子体操選手・指導者
旧姓は小田。
長崎県立長崎西高等学校-日本体育大学。
1967年の全日本学生体操競技選手権大会で個人総合優勝し、全日本選手権でも5位に入賞している。
同年の1967年夏季ユニバーシアード(東京)女子団体で金メダルを獲得。
1968年メキシコシティーオリンピックに出場。
女子個人総合は19位、女子団体では4位入賞を果たした。
1969年には第23回全日本体操競技選手権大会、全日本学生体操競技選手権大会、NHK杯体操選手権で優勝、1970年の第17回世界体操競技選手権では団体4位入賞メンバーとなった。
1972年現役引退し塚原光男と結婚、体操指導者としてオリンピック体操チームのコーチなどを歴任(1976年モントリオールオリンピック、1984年ロサンゼルスオリンピック、1988年ソウルオリンピック体操女子チームリーダー、2008年北京オリンピック体操女子監督)
塚原体操センター副校長、朝日生命体操クラブ女子チーム監督として後進の指導育成に当たっている。
塚原 光男(つかはら みつお、1947年12月22日 )
日本の元体操選手。オリンピック3大会で金メダルを獲得した。
鉄棒では「月面宙返り(ムーンサルト)」を編み出した選手でもある。
1968年メキシコシティーオリンピック・1972年ミュンヘンオリンピック・1976年モントリオールオリンピックで金メダルを取った元体操選手
息子は2004年アテネオリンピックの体操団体で金メダルを取った体操選手の塚原直也である。
東京都北区出身。1966年に國學院高等学校を、1970年に日本体育大学体育学部卒業。
大学在学中の1968年にメキシコオリンピックに出場している。
1970年、大学卒業後に河合楽器に入社。
社会人となってからもミュンヘンオリンピック(1972年)とモントリオールオリンピック(1976年)に出場、男子種目別の鉄棒で2大会連続で金メダルを獲得。
1970年に跳馬で「ツカハラ跳び」
1972年に鉄棒で「月面宙返り(ムーンサルト)」の新技を開発した。
特に月面宙返りの開発に当たってはトランポリンのハーフ・イン・ハーフという技を見て、「これを鉄棒に使えないだろうか」と思ったことから深夜、人がいなくなった練習場で数ヶ月かけて1人練習を重ねて技を完成させたことを後に語っている。
引退後には指導者となり、2002年には「朝日生命体操教室」と「朝日生命体操クラブ」を運営する「塚原体操センター」を設立した。
2009年秋の褒章で紫綬褒章を受章。
2004年に受章した息子・直也と共に親子での紫綬褒章受章者となった。
2012年にはロンドンオリンピック日本選手団の総監督を務めた。
2013年7月に執行された第23回参議院議員通常選挙に自由民主党の公認を得て比例代表候補として出馬するも、26位で落選。
2014年、講道館評議員に就任している。