社会経済

【衝撃事実】久米一正(清水)の現在や再婚相手は誰?年俸(年収)や経歴が凄い!

久米 一正清水エスパレスGM副社長は、静岡県出身の元サッカー選手としても活躍して、現役を退いてからは日本プロサッカーリーグ参与と成りました。

永きにわたって複数のJリーグクラブでゼネラルマネージャー(GM)をはじめとするクラブ強化担当を歴任しており、日本のサッカー界におけるGMの草分け的存在として知られています。

中央大学の同級生には早野宏史がいました。久米 一正さんはサッカー部でも4年次に主将を務め、試合に出られない4年生の不満をいかに解消するかを考えることで「どうやったら人のモチベーションは上がるのか」という人心掌握術を学んだと後に語っていますね。

1978年に日立製作所に入社、コンピュータ事業本部に籍を置きながら、実業団のサッカーチームとして活動しMFとして西野とともに活躍。1985年の引退までに日本サッカーリーグ (JSL) 132試合11得点を挙げた記録を持っています。

今回は久米 一正清水エスパレスGM副社長の現在と再婚相手は誰?や経歴や年俸なども調べて見ました。

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久米一正のプロフィール

  • 本 名:久米 一正(くめ かずまさ)
  • ラテン文字: KUME Kazumasa
  • 国 籍:日本
  • 生年月日:1955年7月26日
  • 出身地:静岡県浜松市
  • 没年月日:2018年11月24日(63歳没)
  • 身 長:168cm
  • 体 重:60kg
  • 選手情報
  • ポジション:MF
  • ユース:1974-1977 中央大学
  • クラブ:1978-1985 日立製作所 132 (11得点)

その後は社業(政府系金融機関へのコンピュータ営業担当)に専念していたが、1988年、前年JSL2部に降格したサッカー部の渉外担当マネジャーとして再びサッカーに関わることになる。

久米一正さんは現在のJリーグ優勝杯である「銀皿(マイスター・シャーレ)」の制作にも携わったという。1994年からは日立サッカー部がプロ化した柏レイソルの運営会社・日立スポーツ(現商号:日立柏レイソル)に出向します。

1996年から強化本部長を務め、アトランタオ五輪元日本代表監督の西野を招聘しました。久米一正さんが強化担当となって以降、1996年、1997年、1999年、そして2000年にはリーグの優勝争いをするまでにチームを育て、1999年には、

ナビスコカップ優勝に導くなどチームの強化に手腕を発揮、久米一正さん自身も日立の参事(役員クラス)にまで上り詰めて行きました。

久米一正清水GM副社長の現在

https://twitter.com/expnor2018gram1/status/1066280064105545728

久米一正さんは幼い頃からサッカーを始め、高校生の時、静岡県立浜名高等学校ではサッカー部のキャプテンとして活躍するほどサッカーのセンスを持ち合わせていました。なんと、前日本代表監督である西野朗さんと高校時代から面識もあり「暴れん坊」と呼ばれていたそうです。

現役を引退されてからは、教育やマネジメント側に回り、柏レイソル、清水エスパルス、名古屋グランパスなどのゼネラルマネージャーとして活躍しました。

久米正一GMは生涯、常にサッカーに関わり続け本当にサッカーを心から愛していたように思いますね。久米一正さんの死因は「大腸がん」と伝えられています。

大腸がんの恐ろしいところは病気に成っていても初期は自覚症状がないのです。更に、自覚症状が出てきた時にはすでに手遅れというのが普通らしいです。

定期的に人間ドックなどで早期発見すれば完治するとも言われていましたが、運悪く久米さんにおいてはゼネラルマネージャーとして多忙な毎日で人間ドックをする暇もなかったのでしょう。

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久米一正の再婚相手は誰?

ネットで久米一正さんのことについて検索すると「再婚相手」というキーワードがヒットしますが、これは離婚歴があるということなんでしょうかね?

それではと詳しく調べてみると、久米一正さん自身の著書「人を束ねる 名古屋グランパスの常勝のマネジメント」の中で奥様に関する情報が書かれていました。

なんと2002年に日立を退社する際に奥様がガンに侵されていたことが分かりました。奥様は治療の効果が見られなく残念ながら5年後の2007年に亡くなられたことも明かされていましたね。

ですから、再婚相手というキーワードは久米一正さんが、まだ若い時に奥様と死別したため、再婚相手がいるのでは?と言う風に多くの人が検索した結果、このキーワードが出てくるものと思われます。そういうわけで再婚相手についての情報を探しても全く見当たりませんでした。

久米一正の経歴や年俸が凄い!

久米一正さんは、現役を引退してからは日立スポーツ(現商号:日立柏レイソル)に出向して、1996年から強化本部長を務めていました。2002年最終的にレイソルは、その年J1に残留しましたが、久米一正さんは降格危機に陥った責任を取り強化本部長を辞任し社業に専念するよう命じられました。

この時が久米一正さんの運命の分かれ道で、会社勤めをしながらサッカーもやるという2足のわらじをやめて、好きなサッカーで飯を食おう」と決心して20年以上籍を置いた日立を退職することにしました。

翌2003年、オファーを受けていた清水エスパルスに加入し同年10月から2007年まで強化育成本部長を務めた。清水時代ではそれまでユースからの大量昇格をしていたチームの方針を転換し、スカウトを充実させ多くの若手有望選手を入団させた。

残留争いに巻き込まれるなど下位に低迷していた清水の世代交代に成功し、2006年・2007年シーズンとリーグ戦2年連続4位の成績を収めるほどに成長させました。

清水で一定の手応えを感じたことと、妻を亡くして環境を変えたかったこともあり、2007年シーズンをもって清水を去り、翌2008年、名古屋グランパスでクラブ初のGMに就任します。

名古屋では日立の人事考課システムを参考に清水時代に作成した「GMマニュアル」を基に、それまで統一されていなかった年俸の査定基準を見直して誰もが納得する総合評価システムを導入するなど方向転換を図りました。

その結果、毎年の様に出していた「契約更改での『越年者』」がそのシーズンは「ゼロ」で、関係者を大きく驚かせたという。選手補強などでも手腕を発揮し、浦和から名古屋に移籍した田中マルクス闘莉王に「久米さんの話術にやられました」といわせたほどであった。

結果、2010年シーズンに名古屋はクラブ史上初のリーグ戦優勝を果たすことになり、久米一正さんは、名古屋グランパスエイトの定時株主総会及び取締役会において、同社の代表取締役社長に就任しました。

ところが、翌2016年、名古屋はシーズン16位に終わり初のJ2降格が決定すると、降格の責任を取る形で、社長職を退任しました。そして今度は2018年1月1日付で、清水のGMに就任し、強化育成本部長として在籍していた2007年以来11年ぶりに復帰しました。

ところで、久米一正さんの年俸がいくらなんでしょうか?ちょっと気になりますね。清水のGMに就任し多くの実績を持っている方なのでチームの監督と同じではなく、さらに役員報酬なども合わせて考える必要がありますね。

それで久米一正さんの年収、年俸を調べて見ましたら、参考資料として2017年 サッカーJリーグ 監督年俸データと言うものから推定してみました。詳しくはこちらをどうぞ

この資料によれば監督の年収で最高で1億円、最低で1500万円となっています。ちなみに、8位に清水エスパルス、小林 伸二監督(58歳)が5000万円です。

GM、ジェネラルマネージャーと監督を比べると、監督は現場での指揮を担当、GMは選手の編成、補強について最終責任者という役割分担があり、立場的には監督よりも上に来るのがGMとなっています。

なので、当然監督の年収よりも高くなると考えられます。と言う結論から筆者の推測では久米一正さんの年収は役員報酬なども考慮すると約1億円前後と推定されますね。

しかしながら、こんなに優秀な力を発揮していらっしゃった久米正一さんも病気には勝てませんでした2018年11月23日、大腸癌のため63歳の今の時代であればまだ働き盛りですが亡くなられました。

でも、これで天国の奥さんと会えますから、天国で待っておられる奥様と仲良く天国生活をされると良いですね。久米一正さん、本当にご苦労様でした。

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まとめ

久米 一正清水エスパレスGM副社長は、静岡県出身の元サッカー選手としても活躍して、現役を退いてからは日本プロサッカーリーグ参与と成りました。

久米一正さんはサッカー選手として現役を退いてからが、自身の才能を発揮されたように筆者は感じますが、経歴は日立スポーツ(現商号:日立柏レイソル)に出向して強化育成本部長を務め、実績を残し、清水エスパレス、名古屋グランパス、

そして、清水GMとしてその手腕を発揮してきました。年俸も筆者の想像ですが1億円前後は有るだろうと想定されますね。

大腸癌は、自覚症状があまりないそうで、自分でおかしいなと思ったときはすでに手の施しようがないと言うのが一般的なようです。

筆者の知り合いも大腸癌でやはり60歳前半で亡くなっています。健康こそが宝ですね。やはり定期健診などは60歳近くになったら受けるとよいかも知れませんね。

最後まで読んで頂き有難うございます。もし宜しければコメントなど頂ければ幸いです。

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