5月3日、J1FC東京ユースに所属するU-20W杯日本代表FWの久保建英(15)選手がトップチームデビューしました。ゴールこそ決められなかったものの、直接フリーキックでゴールを狙う等、積極的な姿勢を見せました。
久保建英選手は、FCバルセロナの下部組織・カンテラの入団テストを受けて合格し、2011年9月からスペインでプレーしており、日本でも度々報道され、日本のサッカーファンのみならず海外からも大きな期待を受けていました。
しかし、久保建英選手はチーム事情により、バルセロナを退団して帰国し、現在は日本でプレーしています。今回は久保建英選手のバルセロナ退団理由の「チーム事情」とは何だったのか説明しますね!
久保建英のバルセロナ退団理由は?
久保建英選手は、バルセロナのチーム事情により、退団はやむを得ませんでした。事の発端はバルセロナの不正行為です。FIFA(国際サッカー連盟)では、未成年選手の国際移籍を基本的に禁止しています。
これにバルセロナが違反していると判断され、18歳まで久保選手を含む10名の選手はスペインで試合に出場することができなくなりました。久保選手はバルセロナでプレーしたいと願っていましたが、やはり試合に出場できるまで待つのは耐えられなかったのでしょう。
本人も苦渋の決断だったはずです。地元紙「スポルト」も優秀な選手が地元から去ってしまったことを大きく報じています。
未成年の国際移籍禁止には例外もある!
上で、「FIFA(国際サッカー連盟)では、未成年選手の国際移籍を基本的に禁止している。」といいました。しかし、これには例外もあります。その例外とは、以下の3つ。
- 両親がサッカー以外の理由で移住した場合
- 16歳以上18歳未満でEU圏内、欧州経済領域(EEA)圏内での移籍
- 自宅が移籍先の国境から50km以内にあり、移籍先クラブも国境から50km以内にある場合
久保建英選手はこれら3つの例外に当てはまらないと判断され、不正に獲得した選手だと判断されてしまったわけです。
長年違反の指摘を無視していたバルセロナ
久保選手は約4年もスペインで選手生活を送っています。なぜ、バルセロナほどのビッグクラブがこのような違反を犯し、野放しにされていたのでしょうか?
実は、以前は未成年登録に関する規約が制定されておらず、詐欺行為と捉えられてもおかしくないような行為が行われていました。その例を挙げると、アフリカや南米の貧しい国にいるサッカー少年とその家族に対し、ヨーロッパのビッグクラブへの入団を勧誘していました。
そして、ヨーロッパへの渡航費を奪ったり、ヨーロッパへ連れてきたとしても、成功しないだろうと判断されると、そのまま姿をくらましていなくなってしまうというような事件が起きていたのだそうです。
このような背景から2009年にFIFAが未成年登録に関する規約が制定されました。この規約が制定されたことでバルセロナは登録している外国人選手の数人が違反となってしまいました。
バルセロナ側も違反とは認識していましたが、何も対応していませんでした。FIFAから違反を指摘されていたにも関わらず、スペインサッカー協会が独断で「違反行為ではない!」としたことで、野放しになっていたんです。
長年違反の指摘に対して無視していたことで、久保選手を含む10名の試合出場を禁止するという制裁を科されたというわけなんですね。バルセロナは、この制裁が不服であるとし、意義を申し立てるも、即却下されたようです。
バルセロナ復帰はいつ?
バルセロナ復帰はその時になってみないと分かりませんが、少なくとも久保建英選手が18歳以上というのは間違いないでしょう。18歳にならないと試合に出れないことになってしまいましたからね。
まとめ
- 久保建英選手が、バルセロナ退団となった理由は、バルセロナが未成年登録に関する規約に違反していたとされ、制裁を受け、久保建英選手が18歳になるまで試合に出ることを禁止されたことだった。
- バルセロナが長年違反の指摘を無視してきた理由は、スペインサッカー協会が独断でバルセロナの未成年登録に関して、違反はないとしたことによる。
- バルセロナ復帰は、現在では不明だが、少なくとも久保建英選手が18歳になってからというのは間違いない。
久保選手が帰国した理由は、決してバルセロナで活躍できなかったからというわけではないんです。むしろ逆で活躍していました。
久保選手にとっては不運だったとしか言いようがありませんが、場所は違えどサッカーができる環境には変わりありませんからね。数年後、バルセロナに戻って世界で大活躍する選手になってほしいですね!