競艇選手

【衝撃事実】日高逸子の若い頃から自宅や夫(旦那)との関係!生涯獲得賞金も調査!

女子競艇界のレジェンドと呼ばれても過言でない日高逸子女子競艇選手は「年齢も性別も関係なく、同じフィールドで戦えるのがボートレースの魅力ですね」と、語っています。28年にわたりボートレーサーとして大活躍中の日高逸子さん。

宮崎県都城市生まれで、両親が離婚後、同県串間市で祖父母に育てられ、親の愛を知らずに育った日高逸子選手でした。高校を卒業後信用金庫に就職したのですが信用金庫を1年で退職。その後東京へ行き、製菓学校や旅行専門学校に通ったり、旅行会社や喫茶店で働いたりしていました。

住み込みの新聞配達などで必死にお金を工面しながら、祖父母に仕送りしつつ、必死に自分の道を探し求めていたそんな時、競艇選手募集のテレビCMを目にして受験し、本栖研修所での訓練を経て、1985年にデビューしました。

この波乱万丈とも言える、苦労人でも有り、又その苦労をを乗り越えて光り輝いている、日高逸子選手は一人の人間として尊敬に値する人物では無いかと筆者の知る中では数少ないお勧めの人物でありますね。

結婚した相手が“主夫”となり、出産後もすぐに仕事復帰。女子王座決定戦を2度制覇し、生涯獲得賞金は2017年現在で9億4735万円に上っています。これに18、19年を加えると9億9千万になりますから今年中には10億円を突破するのは間違いないでしょう。

57歳の現在もなおトップグループで活躍している日高逸子選手の、若い頃から自宅や夫(旦那)との関係!生涯獲得賞金などもご紹介して行きますね!

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日高逸子のプロフィール

  • 本 名:日高逸子(ひだか いつこ)
  • 出身地:宮崎県串間市
  • 生年月日:1961年10月7日(57歳)
  • 身 長:155cm
  • 体 重:49kg
  • 血液型:A型
  • 所 属: 福岡支部
  • 登録番号:3188
  • 登録期:56期
  • 級 別:A1級
  • 特 徴:自在
  • デビュー:1985年5月

日高逸子選手は、50歳を過ぎてもなお第一線で活躍するボートレース界の「グレートマザー」です。 57歳で引退した古川美千代選手が目標で「その年齢を超えたい」。「ヨガをレース中も宿舎で毎日やり、プライベートでもスタジオに行っています。

ヨガスタジオは現在2カ所で1つはホットヨガ。最長は90分」とベスト体重の維持に余念がない。プロ入り当初は苦労もありました。「下手だったので、人よりたくさんボートに乗って練習した。一人でボートに乗りに行ったことも」と振り返る日高逸子選手です。

日高逸子の出身中学や高校はどこ?

日高逸子選手の出身中学や高校はどこ?と調べてみました。日高逸子選手は出身地が、宮崎県串間市です。串間市内の中学校を調べましたら、串間市立福島中学校が見つかりました。

但しこの中学校は、2017年に福島中学校、北方中学校、大束中学校、本城中学校、市木中学校、都井中学校を統合し、串間市立串間中学校として開校されていますので、日高逸子選手の中学生時代は、上記の6校の内のどれかと言うことに成りますね

高校は、公立高校であれば、宮崎県立福島高等学校が地元で一番近く通学にも良いと思いますが、県内の高校は114校存在していますが、日高選手は奨学金で高校を卒業したと言うことなので、私立高校ではなく公立だと思います。なので確かな資料は有りませんが宮崎県立福島高等学校を卒業していると思われます。

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日高逸子の若い頃!

日高逸子選手の自叙伝とも言えそうな、レーサーになるまでの人生は、波乱万丈でした。日高選手の幼いうちに両親が離婚して、宮崎県串間市で祖父母に育てられ、小学生のころから新聞配達や農作業をしながら、奨学金で高校を卒業しました。
若い頃の日高逸子さんはこちら!
しかし、ここからが普通じゃないんですね。信用金庫に入行するも1年で退行。東京へ飛び出し、住み込みの新聞配達などで必死にお金を工面しながら製菓学校や旅行専門学校に通ったり、旅行会社や喫茶店で働いたり…。

祖父母に仕送りしつつ、必死に自分の道を探し求めていた。「いつか自分に合う仕事が見つかるはず。そんな思いでした」と語るそんな日高さんに転機が訪れたのは、22歳のとき。普段はほとんど見ないテレビをつけたら、ボートレーサー募集のCMで「ボートに乗って年収1000万円」と

いう言葉が飛び込んできた。1000万円という金額に惹かれ、履歴書を送ったという。「ボートがどんなスポーツか知らなかったから、試験会場で走るボートを見たときは言葉を失ってしまったという。スピードと、次々とひっくり返って冷たい湖に身を投げ出される光景に」。

日高選手はそれでも33倍の難関を突破し、養成所へ入所しました。1年間の訓練は、過酷だった。ボートは時速80kmに達し、転覆して水面に投げ出されると、後続のボートにひかれて命を落とす可能性も。一瞬たりとも気を抜けない。入所から2か月、同期生が上達するのに、

日高さんはまともに走ることすら難しい。恐怖感と自信喪失がピークに達し、辞めようと決意。通りかかった教官に「私、辞めます。帰ります」と告げると、思いがけない言葉が返ってきた。「まあ、落ち着け。お前の作文を読んだが、帰るところなんてないじゃないか」。

それは、入所すぐに書かされた作文のこと。日高さんは両親の離婚などもあって、小さなころから働き続け、職を転々としたことを正直に書きつづっていた。教官はその内容を覚えていたのだ。そして「実は俺もお前と同じ串間の人間だ。負けるな」と声をかけてくれた。

「温かい心にふれてうれしかった。『私にはこれしかない』と思い直しました」。もう一度だけ辞めたいと思ったのは、同期のエースの落水事故を目の当たりにしたとき。「水面が真っ赤に染まり、救急車に乗せられた彼の顔から血が吹き出していました。

その光景が何度もよみがえり、体が震えるほど怖くてたまらなくて。もともと私には才能がないから人の何倍も練習していたけれど、恐怖心を追い払うため、さらに練習に打ち込みました」と日高逸子選手のデビュー前の苦労を語っていましたね。

いよいよ、レース活動本番となり福岡支部に配属となりました。ボートレース芦屋でデビューすると、ストイックに体作りをして、貪欲なまでに勝ちにこだわる日高選手は、レース3度目で早くも1着をとり、その後もぐんぐん成績を伸ばしていきます。レジェンド日高逸子の始まりです!

日高逸子の自宅や夫(旦那)との関係!

https://twitter.com/keikei44441/status/1090199116137738241

日高逸子さんは、平成8年8月8日、末広がりの日を選んで旧姓井上邦博さんと婚姻届を提出。20歳の時に出会った2人でしたが、色々紆余曲折はあったのですが14年後の34歳になって結婚することになりました。日高さんは競艇選手として全国でレースに挑むため、

1か月のうち20日ほどは家を空けます。34歳で結婚した夫は東京在住でしたが、自分が福岡で“主夫”をすること、日高姓になることを快諾。おかげで日高さんは、2児を出産後も2か月で仕事に復帰できました。優しい夫を信頼しているから、何でも安心して任せられる。

「産休明けにボートに乗るときは、うれしくて楽しくてたまらなかった」と笑顔で語っている日高選手です。デビューから34年に成ろうとする現在、今日ではママさんレーサーも多いという。

早朝1時間のヨガで心身を整えるのが日高さんの日課だ。「1日でも長くボートに乗り、1回でも多く勝ちたい。57歳の女性レーサーもいたし、やれるところまでやる」と・・。

そして、「あきらめなければ、絶対にいろんな道がありますよ」と、自分にウソをつかず、いつでも前を向いて全力で駆け抜けてきた日高逸子選手はこれからも興味津々ですね。この人どこまで行くのかほんとに楽しみですね!!

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日高逸子の生涯獲得賞金も調査!

https://twitter.com/Mizuki_47714/status/890857842999148547

日高逸子の生涯獲得賞金も調査して見ました!と言っても冒頭にご紹介してしまいました、生涯獲得賞金は2017年度修理時点で9億4千735万円です。《笑い》

もちろんランキング1位ですね。2位は山川美由紀選手の9億3千990万円ですね。2019年中には10億円を超えるであろうと推測していますが、楽しみですね。

「独身のときは、優勝しても負けてもひとり。家族ができてからは、喜びは何倍にも膨らみ、落ち込んでも次に頑張ればいいと思えるようになりました」と話す日高選手。

月20日ほどのレース期間中、家族はもちろん外部との連絡は一切禁止。競艇界では家族がボートレース場で観戦することも許されない。「レースに行く前は、必ず娘たちとハグします。その瞬間が本当に幸せですね」。

家族の存在が、かけがえのない原動力となっていると言う。自宅で過ごすときは、子どもの弁当やお菓子も作ると言う日高選手。最近は若手の台頭もあって良い勝負をしていますが、まだまだ人気は高い日高逸子選手まだまだ前人未到の記録を打ち立てて欲しいですね。

下記にこれまでの主な戦績を羅列しました!!

  • 2015年7月9日、ボートレース浜名湖の一般タイトル戦・初日第8レースを勝利し、女子としては山川美由紀に次いで二人目となる通算2,000勝を達成!。
  • 通算優勝回数:73回(2018年10月14日現在、女子王座決定戦及び賞金女王決定戦競走での優勝含む)
  • 記念優勝:2 回
  • GI/PGI優勝:2 回
  • GII優勝:1 回
  • GIII優勝:24 回
  • 一般戦優勝:54 回
  • 主要獲得タイトル
  • GII女子王座決定戦(1989年)
  • GI女子王座決定戦(2005年)
  • GIクイーンズクライマックス(2014年)

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まとめ

女子競艇界のレジェンドと呼ばれても過言でない日高逸子女子競艇選手は、両親が離婚後、同県串間市で祖父母に育てられ、親の愛を知らずに育った日高逸子選手でした。

高校を卒業後信用金庫に就職したのですが信用金庫を1年で退職。その後東京へ行き、22歳のとき。普段はほとんど見ないテレビをつけたら、

ボートレーサー募集のCMで「ボートに乗って年収1000万円」という金額に惹かれ、履歴書を送った。「ボートがどんなスポーツか知らなかったから、試験会場で走るボートを見たときは言葉を失ったと言う。

一度はボートレーサーの道を諦めようかと思った事もあったのですが、同郷の教官に励まされて、その苦境を乗り越え1985年5月にデビューするとわずか3レース目で初勝利を挙げ、その後は快進撃を続けたけた日高逸子選手。

平成8年8月8日、末広がりの日を選んで旧姓井上邦博さんと婚姻届を提出。14年越しに実った恋愛で、夫となった井上邦博さんは苗字も日高に変え、家事育児の一切を引き受けて主夫となって日高逸子選手に協力をします。

夫の協力と日高選手の努力で女子競艇界のトップに君臨するほどに登って来ました。「独身のときは、優勝しても負けてもひとり。家族ができてからは、喜びは何倍にも膨らみ、家族の存在が、かけがえのない原動力となっていると言う日高逸子選手。

生涯獲得賞金も2019年中には10億円を超えるであろうと推測しますが、名前のごとく前人未到の記録を打ち立てて欲しい日高逸子選手ですね!

最後まで読んで頂いて有り難う御座います。もし宜しければコメントなど頂ければ幸いです。

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