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【衝撃事実】八角理事長の学歴や性格・給料も調査!現役時代の愛称はブルドッグ!

八角理事長、(元横綱・北勝海)さんは小学生時代から既に元横綱北の富士関から九重部屋への勧誘を受けていたほどの逸材で有った様ですね。本名は 保志信芳(ほし のぶよし)さんは柔道で名を上げて他の相撲部屋にも勧誘されていたそうです。

母親が電話で井筒に「最初に来てくれたあの部屋に行きたい」という保志の意向を伝え、1978年九重(井筒から名跡変更)から勧誘され東京に転校、この頃から九重の指導で稽古をしていたという。

今回、暴力問題再発防止検討委員会からの提言を受けていた日本相撲協会の八角理事長は「いかなる目的でも許さない」と、7項目の「暴力決別宣言」を発表したことで話題となっています。

1年前の酒席で起きた元横綱・日馬富士関の幕内・貴ノ岩への暴行も意識した。外国出身力士への指導強化に向け、年内にも有識者会議を発足させ大相撲の立て直しに必死の八角理事長です。大相撲界から退会した元横綱であり貴乃花親方の動向も注目されている大相撲界の改革が上手くいくと良いのですが。

今回は現在の大相撲かいでは中心的な立場にある八角理事長の学歴や性格、年収はいくら?現役時代の愛称はブルドックとい可愛い所もお伝えして見たいと思います。

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八角理事長のプロフィール

  • 力士名:北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし)
  • ラテン文字:Hokutoumi Nobuyoshi
  • 四股名:保志 信芳→富士若 信芳→保志 信芳→保志 延芳→北勝海 信芳
  • 本 名:保志 信芳(ほし のぶよし)
  • 生年月日:1963年6月22日(55歳)
  • 出 身:北海道広尾郡広尾町
  • 身 長:181cm
  • 体 重:150kg
  • 血液型:A型
  • 得意技:押し、左四つ、寄り
  • 最高位 第61代横綱
    生涯戦歴 591勝286敗109休(80場所)
  • 初土俵 1979年3月場所
  • 引退 1992年3月場所(番付上では1992年5月場所)
    引退後 8代八角部屋 師匠
    他の活動 第13代日本相撲協会理事長

https://twitter.com/ikuoyamagisi/status/1054951103454998528

北勝海 信芳は、大相撲の力士で、第61代横綱。北海道広尾郡広尾町生まれ。現役時代の体格は身長181cm、体重150kg。得意技は押し、左四つ、寄り。愛称は本名の「ほし」に由来する「ポチ」、海外公演で付けられた「ブルドッグ」。「花のサンパチ組」(昭和38年生まれ)の一人です。

2015年11月20日に北の湖敏満(日本相撲協会理事長)が死去したことにより、理事長代行に就任しました。代行業務としてはこれより以前の同年7月場所千秋楽以降、北の湖の体調不良のため協会御挨拶と表彰式を代理で務めていた。

北の湖死去直後の11月場所千秋楽の協会御挨拶では訃報に触れず、土俵優先を貫く故人の遺志に従って「平成27年11月22日、公益財団法人日本相撲協会理事長、北の湖敏満代読、八角信芳」と読み上げました。

現在は、年寄・八角 信芳(はっかく のぶよし)として八角部屋(高砂一門)の師匠。第13代日本相撲協会理事長を勤めています。

八角理事長の学歴や性格を調査!

北海道広尾郡広尾町出身の八角理事長は、広尾小学校の卒業文集に「将来は相撲取りになって、芝生のある家を建てる」という夢を書いた。14歳で親元を離れ、九重部屋に入門。早朝から稽古場で四股を踏み、それが終わると中学校へ通う日々を送る

1979年春場所初土俵。19歳の83年春場所で新十両昇進。同年秋場所で新入幕を決める。新入幕から所要わずか2場所で小結に昇進。三役に定着するとともに、三賞の常連となる。

立ち合いでぶちかまし、突き押しに徹するだけではなく差し手からの寄りなど、馬力にスピードや技能も兼ね備えた取り口。なにより、闘志を全面に出し、最後まであきらめない気迫あふれる相撲でファンを魅了した。

西関脇だった86年春場所で史上初めて5大関を破り、13勝2敗で初優勝を飾る。同年名古屋場所後に大関昇進。しこ名を保志から北勝海に改名した。87年春場所で2回目の優勝を飾り、翌場所は優勝を逃すも13勝2敗の好成績を収め、23歳で横綱昇進を決めた。

横綱昇進時の口上は「横綱の名を汚さぬよう、これからも一生懸命稽古をし努力します」。これは親方の歩んできた相撲人生そのもの。誰よりも稽古をし、それを自信に変えて土俵に上がった。

無類の稽古熱心と、兄弟子である横綱千代の富士の胸を借りた猛稽古は語り草になっている。

と言うことで八角理事長は学歴は中学校卒業ですね。東京都内の中学校とあるのでどこの中学校なのかは分かりませんでした。又、八角理事長の性格は、誰よりも稽古をし、それを自信に変えて土俵に上がった、無類の稽古熱心であると、兄弟子である横綱千代の富士の胸を借りた猛稽古は語り草になっている。

と言うくらいですから、真面目で純朴な人柄を感じますね。愛称がブルドック!と言われるのもなんとなくほのぼのしたものを感じさせてくれますね。

88年夏場所千秋楽を腰痛で休場後、名古屋場所から3場所連続で全休に追い込まれた。腰部椎間板損傷と左股関節挫傷で入院し、2ヶ月の間まともに歩くこともできない状態が続いた。「なんとしてももう1度土俵に上がりたい」という執念で、1日8時間以上に及ぶ壮絶なリハビリを敢行。

マイナス190度の冷凍室に入る冷凍治療を取り入れ、腹筋や背筋、階段の上り下りで徹底的に腰を鍛え上げた。再起をかけた昭和天皇崩御の平成元年初場所は初日から14連勝と勝ち進み、千秋楽に旭富士に敗れたが優勝決定戦で下し、見事な復活優勝を飾った。

親方は現役時代の思い出の1番としてこの場所の旭富士戦をあげている。努力と辛抱で合計8回の幕内最高優勝を飾った。92年5月に現役を引退。28歳と若い引退を惜しまれたが「心も体も自分の全力を出し切った。稽古もリハビリもやり残したことは何もない」と完全燃焼したと語っています。

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八角理事長の現役時代

元横綱・北勝海こと八角親方は、現役時代は千代の富士の弟弟子として同時代の横綱として活躍。引退後も八角親方として日本相撲協会での仕事と後進の指導をこなしてきました。

これまでの八角親方といえば、相撲愛好家なら誰でも知ってい存在ではありましたが、世間一般的にはやや影が薄い感が否めない存在でもありました。

ところが、2015年11月に日本相撲協会の北の湖理事長が急逝すると、その代わりとして、日本相撲協会の新理事長に就任し、一気に世間の注目を浴びる存在になりました。

日本相撲協会の新理事長として突如、注目を浴びることとなった北勝海こと八角親方の現役時代は、まずは小学生時代ですが、なんとこの頃から、現役時代の元横綱・北の富士から九重部屋への勧誘を受けていたというのだから驚きですね。

北の富士の九重親方の九重部屋へ、中学卒業後、正式に入門します。(実際には、卒業前から部屋に出入りし指導を受けていました)同期の力士は幕内で活躍した力士が多く、「花のサンパチ組」と呼ばれました。

同期で出世した力士では横綱・双羽黒がいます。もっとも、総合的な実績では「花のサンパチ組」のなかでは八角親方がトップと言えます。1983年、19歳で十両昇進、同年9月に20歳で新入幕、1985年から3役へ定着し、その後も好成績を取り続けるようになるなど順調に成長していきます。

そして1986年3月には幕内初優勝、同年9月に大関に昇進します。なお、初土俵から本名の「保志」相撲をとり続けていましたが、大関昇進時に四股名を「北勝海」に改めています。

勝を「と」と読ませるのは無理があると当時言われましたが、この読み方はやがて定着し、今では違和感なく受け入れられています。その後、1987年横綱に昇進。ついに角界の頂点の地位に上り詰めます。

1992年5月に引退するまで、幕内優勝8回を数えました。得意技は押し、左四つ、寄りなどオーソドックスな型で基本に忠実なことがわかります。頭からの当たりの強さ(ぶちかまし)がトレードマークでしたね。

ちなみに現役時代のライバルはひとつ年上の横綱・大乃国とされていました。

八角理事長の愛称はブルドック

八角理事長は、横綱・千代の富士と九重部屋黄金期を築いた、横綱・北勝海ですね!。ロンドン海外公演では「ブルドッグ」と呼ばれた!そうですね、人相や体の格好からも愛嬌のある丸い目が可愛く見えますね。

各人の好みですから、そう思わない人もいるかもしれないですが、ここだけは筆者の独断で可愛いブルドック!の八角理事長です。日馬富士事件に揺れる相撲界にあって、相撲協会のトップとして事態収拾に奔走する八角信芳理事長。

第61代横綱・北勝海(ほくとうみ)として活躍していました。「昭和の大横綱」として無敵を誇った千代の富士とともに、九重部屋の全盛期を築き上げたのが北勝海でした。現役引退後は、八角部屋の親方として北勝力ら関取を輩出するなど、後進の育成にも手腕を発揮しています。

八角信芳理事長は、その風貌から、ロンドン海外公演では、現地メディアから「ブルドッグ」のニックネームで呼ばれました。「花のサンパチ組」と呼ばれるように。活躍したことは上記を参照してください。

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八角理事長の給料を調査!

八角理事長の役員報酬はどれくらいなのでしょう?調べて見ましたら、規定が見つかりましたので、こちらをご覧ください。 公益財団法人 日本相撲協会 役員及び評議員の報酬並びに費用に関する規程ですね。

これによると理事は、定例報酬として月額149万8000円だそうです。これに勤続手当や本部勤務手当、年度末手当などの手当が追加されます。ので八角理事長の年収は、1,498,000円×12+勤続手当+本部勤務手当+年度末手当=まあまあ結構な額になりそうですね。

  • 抜粋
    <定例報酬>
    定例報酬として、次の通り定める。
    なお、年寄を兼務する理事にあっては、
    年寄としての報酬を含むものとする。
    区分 月額理事 1,498,000 円
  • <勤続手当>
    年寄を兼務する理事にあっては、年寄の
    勤続年数に応じて、次の通り勤続手当を支給
    する。ただし、準年寄として在籍した
    期間は含まない。
    勤続年数 月額
    満 31 年以上 20,000 円
    満 21 年以上 14,000 円
    満 11 年以上 8,000 円
  • <本部勤務手当>
    本部勤務の理事には、次の通り本部勤務手当
    を支給することができる。
    区分 月額
    理事長 50,000 円
    理事 40,000 円
  • <年度末手当>
    常勤理事には、次の通り役員年度末手当
    を支給することができる。
    区分 金額
    理事長 1,100,000 円
    理事 800,000 円
  • <先発手当>
    各地方本場所を担当した理事には、次の通り
    先発手当を支給することができる。
    区分 金額(1場所)
    大阪 名古屋 福岡
    理事 1,550,000 円 1,550,000 円 1,700,000 円
  • 常勤役員退職慰労金表
    年寄を兼務する理事にあっては、年寄としての
    退職慰労金を含むものとする。
    1 期 2 年につき
    理事長 1,000,000 円
    理事 700,000 円

『日本相撲協会の役員一覧!役員報酬はどれくらい?』

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まとめ

今回、暴力問題再発防止検討委員会からの提言を受けていた日本相撲協会の八角理事長は「いかなる目的でも許さない」と、7項目の「暴力決別宣言」を発表したことで話題となっています。

話題になったところで、八角理事長の現役時代の学歴や性格、年収やブルドッグのニックネームも付けられた元横綱、北勝海さん。小学校の時から大相撲に誘われていて、中学に通いながら九重部屋で稽古をしていました。

1986年3月には幕内初優勝、同年9月に大関に昇進します。なお、初土俵から本名の「保志」相撲をとり続けていましたが、大関昇進時に四股名を「北勝海」に改めています。

理事長の年収はどれくらい?と調べて見ました。これによると理事は、定例報酬として月額149万8000円だそうです。これに勤続手当や本部勤務手当、年度末手当などの手当が追加されます。

なので八角理事長の年収は、1,498,000円×12+勤続手当+本部勤務手当+年度末手当=まあまあ結構な額になりそうですね。

最後まで読んで頂いて有り難う御座います。もし宜しければコメントなど頂ければ幸いです。

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