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【衝撃事実】古尾谷雅人の死因を妻が語る!映画「丑三つの村」や!生い立ちも

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名俳優と呼ばれて、一時期は飛ぶ鳥を落とすという言葉でも言い表せる

ような活躍をされていた、俳優・古尾谷 雅人(ふるおや まさと)さん

1980年、映画「ヒポクラテスたち」で苦悩する医大生を個性的に演じ、

報知映画賞 主演男優賞を受賞しました。京都の医科大学に学ぶ若者達の、

医者の卵として成長していく姿を、主人公の日常生活を交えて、生き生きと

描いた青春映画でしたね。その後も『丑三つの村』(1983年、ポルノ作品


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ではないが殺戮シーンなど残酷描写があることから成人映画指定。)でも

個性的なその魅力を発揮していましたね。この頃、にっかつ所属だった

鹿沼えりと映画で共演、後に結婚している。

映画『丑三つの村』で主人公・犬丸継男を演じた時には、熱を入れて

役づくりに励み、殺戮シーンの撮影が終わって帰宅する度に家族に

「今日は何人殺してきたぞ〜!」と嬉々として語っていたという。

今回は、若くして、自ら自分の人生を閉めざるを得なかった、

俳優、古尾谷雅人さんの波乱万丈の苦悩の人生と、それを共に過ごした

妻の、鹿沼えりさんの語った、古尾谷雅人の自殺の真相を調べて見ました。

古尾谷雅人のプロフィール

芸  名:古尾谷 雅人(ふるおや まさと)


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本  名:古尾谷 康雅(ふるおや やすまさ)

生年月日: 1957年5月14日

没年月日:2003年3月25日(45歳没)

出身地:神奈川県川崎市中原区

死没地:東京都文京区

血液型:B型

職   業:俳優

ジャンル:テレビドラマ、映画、Vシネマ

活動期間 1977年 – 2003年

配偶者 鹿沼えり

主な作品:テレビドラマ

『金田一少年の事件簿』・ 『六番目の小夜子』

映画:『ヒポクラテスたち』・『丑三つの村』・『宇宙の法則』

Vシネマ:『コンプレックス・ブルー』


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古尾谷雅人さんは少年時代が悲惨でしたね。

川崎市の旧家の子として誕生するも、幼少時に両親の離婚

による生母との生別、その後、父が迎えた継母との不和に苦悩する

少年時代を送りました。高校進学は都内の高校に入学し、卒業後は

靴メーカーに就職しました。

芸能人としての活躍は日テレ『今夜は最高!』ゲスト出演時談が、

20歳で、その後劇団ひまわりに入団し、演劇活動開始しました。

初期は本名、古尾谷康雅、の名前で俳優デビューをしました。

日活ロマンポルノ、特に社会派ミステリーや耽美的な作風で初期の

ロマンポルノ作品に多く出演し、屈折した青年像を演じました。

デビュー作『女教師』(1977年、監督は田中登)では主演の女教師を

レイプする不良中学生役というのですから、役柄とはいえ・・。

ですね。また、『北の国から’87初恋』でわずか1シーンだけの出演ながら、

ぶっきらぼうながら心優しいトラック運転手役を演じたり、

『金田一少年の事件簿』の剣持勇警部役、『六番目の小夜子』では


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山田孝之演じる秋の父親役として出演したりするなど、日常性に

立脚した役柄でも実績を築き、次第に名脇役と評価され始めていた。

古尾谷自身は、斉藤や内藤らと違い、ほとんどバラエティに出ないことで

知られ、ドラマや映画での撮影時には常に自分に厳しく取り組んでいた。

妻は女優・鹿沼えりが語った真相!


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古尾谷さんが自ら命を絶った経緯についての内容を、古尾谷の死後、

妻・鹿沼が語ったところによれば、1980年代後半、アイドルが主役の

ドラマや映画が主流となり、1990年に入るとバブル景気を背景に

トレンディドラマがブームになる中、古尾谷はあくまで硬派な役柄や

シリアスな役柄などにこだわり、仕事を選ぶようになった。またキャリアを

積む中でギャランティーも上がり、起用する側も古尾谷を敬遠するように

なったという。


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その影響で仕事が減り、1日中家にいることも多くなり、昼間から酒浸りの

生活になった。また収入が激減したことで、住民税や1億5000万円で購入した

自宅マンションのローンなどの支払いが滞るようになり、鹿沼さんも

「元・女優」というプライドを捨てて近所のスナックでアルバイトを

しながら金策に奔走し、返済を進めたが、結果的に借金は3億円にまで膨らんで

しまいました。そうした状況下で実父の遺産相続を巡って継母との係争問題が

表面化してきました。元々が潔癖症で、洗面所でいつまでも手を洗うほどの

潔癖な性質に加え、こうしたさまざまな焦燥感によるストレスと昼夜逆転の

荒んだ生活などから精神的に不安定な状態が顕著となり、鹿沼さんに対しても、

顔面に重傷を負わせるほどのDVに及んだかと思えば、あるときは、逆に突然

鬱状態に陥り「舞台で死ねたら役者として本望」「自分は必要ない人間じゃないか」

などと悲観的な言葉を発するようになり、そして古尾谷さんは鹿沼さんに

「おれが死んだら泣く?」と「死」について口にすることが多くなり、

「死んだらおれの偉大さが分かる」と言った3日後、古尾谷さんは自宅の寝室に

ある洋服タンスのパイプに胴衣の黒帯をかけ、首をつって死んでいました。

古尾谷さんの死後10年経ち、鹿沼さんは「やっとリセットできました。

手の掛かる人だったけれど、今でも家族です」と語り、鹿沼さんは2004年に

夫の死後1周忌となる日、夫の自殺などについて、今回の告白と重なる

内容をつづった手記「最期のキス」を出版しています。


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23歳で映画「ヒポクラテスたち」の演技が評価され、結婚後も数々の映画賞を

受けたが、30代半ばから変調が生まれはじまり、潔癖症でいつまでも洗面所で

手を洗う程のナイーブさが被害妄想に変わっってしまったようです。

仕事も徐々に減り、1億4500万円で購入したマンションのローンが重く

圧し掛かってきました。

《毎月200万円も払えないので、元金据え置き、利息のみの25万円にして

もらい、大きな収入があったときまとめて払うという約束も滞りがちになった》

やがて、それらがうっぷんとなって爆発しました。家庭内暴力です。


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《ソファに座っていた私の横腹に、いきなり蹴りが入った…身体から顔へと次々と

蹴りが入る…鼻血がソファを赤く染めていく》

「お前ら、ぶっ殺してやる」と包丁を持ち出そうとし、鹿沼さんが2児を連れて

夜中に逃げ出したこともあったという。

なお、鹿沼さんは7年前に東京・神楽坂でスナックをオープンし、

芸能プロダクションも手がけていましたが、

現在は介護資格1級を取り、東京都内の介護施設で働いているそうです。

また古尾さんが亡くなった後、鹿沼さんの母親も骨粗しょう症に苦しんだ

挙句、農薬を飲んで自殺を図り、いったんは助かったものの、1年後に死亡

すると、母親の後を追うように父親も後追い自殺したそうです。


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鹿沼さんも自殺や借金苦など、いろいろなことが重なった重圧で家族で

心中しようと思ったこともありましたが、子供達に励まされ

て、どうにか思いとどまったとのことです。

古尾谷雅人、継母との「遺産裁判」と自殺までの流れ


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なぜ古尾谷さんは、45歳という働き盛りで、自らの命を絶たなければなら

なかったのか。「自殺の原因は謎」と関係者は口を揃えて語っていたが、

一部スポーツ紙は《遺書はあった。『金銭トラブル』のメモ》と報じています。

住民税の滞納金は総額で450万円を超える額にものぼり、

「古尾谷さんは多額の借金に苦しんでいたのではないかと思われます。

彼がマンションを購入したのは17年前の’86年ですが、そのときは

バブル景気の真っただ中。当時の価格で1億5千万円だったそうです。

しかし、そのうちの1億4千万円を銀行から借りましたが、時代の波で

バブルがはじけてマンション価格は暴落してしまい、 多額のローンが

残っているマンションは、現在では約4千万円前後になっているという。

この住宅ローンに加えて古尾谷さんの借金は、その後さらに増えて

いきます。

「マンションを買ってから2年後には、さらに1千万円を借り入れてますが、

苦しかったのでしょう。’92年から5年間、区民税や都民税を滞納したため

区が滞納金を含めマンションに451万6千400円の抵当権を設定した

というのですから、その大変さがハンパじゃないですよね。

古尾谷さんは滞納した税金を納めるためか、2年後に国民生活金融公庫から

限度額の550万円を借り入れてもいた。それでもその頃の古尾谷さんの

仕事ぶりは順調だったと言い、「彼が金銭的に困っていたということは

ありませんと、正木社長は”金銭トラブル”を全面否定するものの、

近所の住民の話では「借金のためかわかりませんが、1年ちょっと前から、

奥さんは、自宅近くのカラオケスナックで働いていますよ」と明かしています。

「ママのお手伝いという形ですが、ほぼ毎日、午後9時ごろから深夜1時ごろ

まで働いています。店では、鹿沼えりさんだということはみんな知っています。

では、それほどまでに古尾谷さんを追い詰めたものは何だったのでしょうか?

古尾谷さんの実家のある、神奈川県川崎市の近所の人が、語った話では、

「去年の2月、古尾谷さんのお父さんがガンで亡くなりました。

葬儀には古尾谷さんも来ましたが、昔から古尾谷さんとお母さんは折り合い

が悪かったようで、古尾谷さんの母親という人は、古尾谷さんにとって

”継母”なのだという。実母は古尾谷さんが小学校に上がるころに父親と離婚。

その数年後、父親は再婚しました。 当時を振り返って話す近所の人によれば、

「古尾谷さんにしてみれば、お父さんが子どもたちに何の相談もなく

新しいお義母さんを家に連れてきたことが許せなかったんじゃないでしょうか。

お父さんともずいぶん喧嘩したようですが、亡くなる前には古尾谷さんも

お父さんを許していたようでした。でもお義母さんにはどうしても馴染め

なかったようです。ですから、お父さんが亡くなってから、遺産相続の件では

お義母さんとずいぶんモメたんですよ」

古尾谷さんの父親は、約287平方メートルの土地に2階建てのアパートを経営

していて、持ち家とそのアパートの相続をめぐって、古尾谷さんは父の死後、

横浜地裁川崎支部に、継母が土地建物を勝手に処分したり、担保に入れたり

できないように求める裁判を起こしました。 その結果、古尾谷さんの訴えは

認められ、裁判所は昨年7月に「所有権の一部処分禁止」の仮処分を継母側に

下している。

しかし、それだけが古尾谷さんを自殺にまで追い込む理由なのでしょうか?。

仕事がないときは外出もせず、自宅でお酒を飲みながら好きな巨人軍の野球中継を

見ることが大好きだったという。そして、テレビの仕事よりも映画に夢を抱き、

将来は監督をやりたいと漏らしていたという古尾谷さん。

自殺の本当の原因は、そんな古尾谷さん自身の”生きざま”にあったのでは

ないでしょうか?

古尾谷さんと交流が深かった知人のひとりは、「彼は役者という仕事に命を

かけていたね。仕事一途で硬派な男ほど仕事以外のトラブルには弱いものです。

仕事ならどうにでも対処できるのでしょうが、仕事以外の私生活のトラブルに

巻き込まれるとポキンと折れてしまう脆さがある。金銭トラブルや継母との

遺産相続などもストレスになり、ホトホト疲れたんだと思いますね」

――3月28日、東京都文京区の伝通院繊月会館で行われた葬儀には、多くの

芸能関係者やファンが参列していました。


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静かに微笑みかけるかのような祭壇の古尾谷さんの遺影は、胡蝶蘭や

白ユリ、トルコ桔梗などの花々に飾られていた。霊界に行かれる古尾谷さん

の戒名は《天鴻院漲演日雅居士》でした。天国でも鳥のように優雅に羽ばたき

演じてほしいという願いが込められているという意味だそうです。

古尾谷雅人さんが自殺をした時「こうなってほしかったんでしょ!お母さん」

と遺体を前にして娘の麗は私に向かって叫んだ。鹿沼えりさんは明かしました。

家族には誰にも打ち明けられない秘密がある。

傷つけあい、いたわりあいながら生きていく家族には家族しか知らない

家族の履歴があるのですね。

45歳の働き盛りで死を選んだ、古尾谷雅人さんは霊界でこの苦しみ

から解放されているのでしょうか?

最後まで読んで頂き有り難うございます

もし宜しければコメント欄に感想などを

頂ければ幸いです!

 

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