政治経済

ロヒンギャ裁判でミャンマーのアウン・サン・スー・チー氏がノーベル平和賞をはく奪すべきとの批判されているのはなぜ?

テポドン

残虐行為をほぼ認めながら、その意図を否定しています。

個人による犯罪でも、意図的な殺人と過失致死では罪の重さが違うでしょう。

しかし、仮にミャンマー軍にその意図がなかったとしても、「残虐行為はあった」と認めるなら、当初の「ラカイン州で組織的な殺戮はない」と説明と全く矛盾しています。

この提訴が「ラカイン州の状況に関して、不完全な像を示した」と述べた点です。

誤解や情報不足があるというなら、ラカイン州の状況を外部に見せなければ説得力はない

しかし、ミャンマー政府・軍は、ラカイン州への外国人の立ち入りを厳しく制限しています。何も見せずに信用しろと言われても無理な話ですね。

おそらく、スー・チー氏は百も承知の上で、それでもそうとしか言えなかったのでしょう。

結局、スーチーの行為はただの権力闘争だっただけ?

自分が権力を持てば他人に同じことをします。

ノーベル賞を剥奪すべきとの声が出ております。

ロヒンギャが軍の脅威となるレベルの戦闘能力を有していたのか?

そうだとしても四桁にのぼる人間を殺す必要があったのか?

これが説明できなきゃ虐殺です。

掃討目的ではないと否定しても、理由がありません。

殱滅でなきゃ虐殺じゃないとはなりません。

彼我の差が圧倒的なものに蹂躙されたなら、それは虐殺ですね。

当時は、ノーベル平和賞受賞者かもしれないが今はノーベル反平和賞対象者だとの声が多くでています。

スー・チー氏も最初は国民期待の自由(民主)主義者かと思われましたが、権力を握った途端に、独裁的な面が顔を覗かせ、ロヒンギャへの仕打ちは明らかに独裁者になっています。

ノーベル平和賞を与えた選考委員も驚きの変節ぶり

日本も彼女が実権を握っている間は、ミャンマーとの関係を見直した方が良いでしょう。

彼女は中国と接近を図っています。

スーチー女史がノーベル賞を授賞した理由は「ミャンマーにおける人権活動と非暴力活動に関して」です。

ミャンマーの軍事政権に非暴力で活動してたってことが理由ですね。

この方をどう評価するかはとりあえず置いといて、そもそもミャンマーでこの方は本当に行政の権限を握ってるのでしょうか。

民主化したと言いつつも結局は軍部がいまだに事実上支配していて彼女はお飾りのトップにすぎないのか、それともちゃんと行政を指揮する力があるのか、半信半疑です。

被害者を装ってる権力者個人や国家はだいたいやってることが逆だったりするケースが多々あります。

スーチーが強調したのは「テロリスト分子が争いを引き起こした。我々が始めたのではない。我々は治安を守るために行動しただけ。」

ジェノサイド中国による発表と、全く同じ。

ミャンマー軍はロヒンジャを殺し、恐怖支配し、村を焼いた跡地には軍施設を建てたり更地にしたりして、難民の帰還を不可能にしました。

兵士が裁かれることはありません。

スー・チーは軍を支配できないが、止めようとしたり批判することは過去にも決してなかった?

今回は積極的に擁護までしています。

大量殺戮者として、ICJではなく、国際刑事裁判所で裁かれるべきですね。

スー・チー氏は本当に実権を持ち軍部を把握しているのだろうか。

民主化し国民に選ばれたとはいえ、実権は従来通り軍部などが握り同氏は単なるお飾りにすぎないのかもしれません。

取材した記者達からはとにかく評判が悪く、記者を見下すような態度があるとの噂

不遜な態度。傲慢。そして知識不足。ビジョン無し。「この人は駄目だ」と思ったとのことです。

ジャーナリスト末延吉正が特に嘆いていました。

ノーベル平和賞には多くの疑問が残る形となりました。

仮にミャンマーがいまだ軍部の意向が実権に及ぼす影響が強く残り、女史がお飾りに過ぎないとしても、裁判所で軍部の行動を擁護した事実は変わりません。

日本や欧米西側諸国のリベラル連中から自由の女神レベルの持ち上げられ方されてた頃から疑問でした。

やはり変わってしまったとしか思えないし、あるいは元から同じ思考で、以前が敵対する権力を打倒するための詭弁だったと言うことなのかもしれません。